おやじは荒野をめざす【アラスカ編】

がむしゃらに突き進むおやじに、アラスカは何を与えてくれるのだろう、、、

(18) 地の果て、北極海

 ドーソンの町からオフロードをどれだけ走っただろう。広大無辺のツンドラにまっすぐ伸びるこの道の先には地の果てがあり、その先には北極海がある。でも、行けども行けどもツンドラばかり。何時間も同じ景色が続いていて、標高が低くなっている気配はない。そんな時、忘れていたあの奇妙な感覚、「不思議な浮遊感」が久しぶりに浮かび上がって来たんだ。

 

 「不思議な浮遊感」に気づいたのは、一年前、初めてビクトリアについて数日経った時だった。慌ただしく旅の準備をし、羽田で家族と別れ、ポーンと太平洋を飛び越えてカナダに降り立つ。何もかも非日常の連続だ。だから、周りの景色が遠く感じられても、料理の味がしっくりこなくても、「旅なんだから。旅ってのはこんなものだから」と思っていた。でも、右も左も分からないビクトリアのダウンタウンをうろついていた時、歩いてはいるんだけど、どうもしっかりと自分の足が地に着いていないような感じがした。地面から20センチくらい浮いていて、その状態のまま、町のあちこちを移動しているだけのような気がしていた。旅のスケールが大きいから、期間が長いから、この変な感覚があるのかな。町に馴染んでくれば、英語の勉強が忙しくなってくれば、友達ができてたくさん話すようになれば、この奇妙な感覚は消えるんじゃないか。3ヶ月が過ぎて、町にもだいぶ馴染み、友達もたくさんできた。学校では「最も誰とでも話す変なおっさん」と化していた。奇妙な浮遊感は後ろに引っ込んだように感じていた。消えてしまったのかもしれないと思っていた。短期帰国を経て二度目のカナダ。最初の1ヶ月は学校に再度通い、その後、ユーコン・アラスカの旅に出た。40年ぶりの気ままな一人旅だが、日本を出る前から、真の目的地は北極海と決めていた。どのように考えて決めたのか、自分でもよく覚えていないのだが、何しろ、そう決まっていた。クマを探したり、チョウチョを追い求めたり、あちこち色々寄り道をしながらも、6月下旬には北極海へ通ずる道の入り口にいた。

 

  北上するにつれ、マッケンジー川の蛇行によって作られた三日月湖が目立つようになってきた。一見、海と見まごうような大きな湖もあって紛らわしい。地平線まで続くツンドラのどこかに水平線が見えてくるはずだ。いや、水平線というのは、陸地にある程度の高さがあるから見えるのであって、もし陸地が海面と同じような平面だったら、よほど海に近くならないと見えてこないかもしれないぞ。それにしても、標高を十メートル下げるのに一体何キロ走らなければならないのだろう。反比例のグラフが永遠に座標軸にくっつかないのと、これはなんだか似ているぞ。それでも、陸と水面、それは川であったり大小の湖であったりだけれど、その比率は少しずつ水面が優勢になってきた。湖と道は水を張った田んぼとあぜ道程度の高低差しかなく、大雨が降ったら一体どうなるんだろう、、、そんなことを考えながら走り続けていたら最果ての集落トゥクトヤクトゥクに到着した。水面の比率はさらに増し、湖のようにも海のようにも見える水面があちこちにある。それは潟湖、いわゆるラグーンで、近くの子供に「ちゃんとした海を見るにはどこへ行けばいいの?」と問うたら、"あっち"と指差した。心を落ち着つけてゆっくり車を"あっち"へ進める。

 村はずれの軍用施設のような大きな建物の脇をすり抜けて前方を見たら、さっきまでの川や湖とは明らかに違う水面、小さいけれどはっきりと波を立てている海が当たり前のように眼前に広がっていた。

f:id:ilovewell0913:20190918145349j:plain
f:id:ilovewell0913:20190918145410j:plain
f:id:ilovewell0913:20190918150534j:plain

f:id:ilovewell0913:20190918150902j:plain

f:id:ilovewell0913:20190918150705j:plain

 波の様子からして陸はすぐに海底深くには沈下しないで遠浅になっているようだ。茶色の海水は、陸と海の渾然一体を示しているようにも感じられた。

 

 なぜ、北極海を目指したのか、帰り道でやっと分かった。ある理由から、これまでの生活を変えるようなカンフル注射が私には必要と気付いた。それとともに、従来の自分ではない、第二の自分が心の奥から新たに上がってきて、30年間続けてきた塾を閉じ、北極海を目指す旅に出ることを決めた。不思議な浮遊感は、以前の自分と新たな第二の自分の繋ぎ目からの隙間風のようなものだったんだと、今、私は思っている。