おやじは荒野をめざす【アラスカ編】

がむしゃらに突き進むおやじに、アラスカは何を与えてくれるのだろう、、、

(20) ベーリンジア

 何年か前に読んだ本の中に「ベーリンジアというところは一度行くと"病みつき"になる」みたいなことが書いてあって、妙にこれが頭にこびりついた。ベーリンジアとは、ウン万年前にユーラシア大陸北米大陸を繋いでいた陸橋なんだけれど、そのベーリンジアが昔あった辺りを繰り返し訪れる人ってどんな人間なんだろう。人生を捨てでもしない限りとても繰り返し行くなんてのは不可能な「僻地 of 僻地」だと思う。私には"病みつき"はとても無理だけど、折角近くまで来たんだからと、ベーリング海峡に面した町ノーム行きの飛行機の予約を取った。そして、出発前にホワイトホースのベーリンジア博物館に行ってにわか勉強をした。ベーリンジアは今から数万年前の氷河期に海水面の高さが今より100メートル下がったことによって二つの大陸が地続きになった時の幅数千キロの陸橋で、一万年前の間氷期に消えた。ここを渡ってシベリアからアラスカに分布を広げたのは、大型哺乳類に限ってもマンモス、トラ、オオカミなどいくつも挙げられるけど、モンゴロイド、つまり我々の仲間がここを渡って新大陸に移り住んだ。グレートジャーニーとも称される人類の壮大な歴史ドラマのクライマックスとも言うべき舞台がベーリンジアだ。

 

 

 部屋の小さな窓から外の雨をぼっと眺めていたら、宿の女主人がやっと帰ってきた。「はーい、キヨシ、初めまして。後で友達の店に飲みに行くけど、あなたも来る?海の近くの洒落たパブなんだけど」。ということは海峡が見えるんだな。こりゃ、願ってもないお誘いで、即OK。未舗装の悪路を女主人はかなりのスビードで飛ばす。凸凹の振動で頭を天井にぶつけ、マジ痛い。それにしても変な道だ。海に向かっているのは確かだけど、さっきまで右に見えていた海が、しばらくしたら左になり、さらに両側の海が接近して、車は海に挟まれた細い道をひた走っている。たまに出てくる橋で二つの海が繋がったりしながら、低い丘を越したところでに、左右の海が一つに合わさり、鉛色の海原が冷たい雨で霞む沖合まで広がっていた。18世紀の探検家ベーリングが命を賭して航海し、太古の昔には我々の祖先が数千年の年月をかけて渡ったベーリンジアの海だ。

 次の日、ノームの繁華街をぶらついた。繁華街といっても、100メートルほどの道の両側にスーパー・レストラン・カフェ・土産物屋・ガソリンスタンド・ホテル・役場などがポツリポツリとあるだけだ。パブで軽く引っ掛けて店を冷やかしながら歩いていたら、漁協の販売所に行き着いた。中を覗くと、大きな水槽の中でタラバガニがのそのそと動いているじゃないか。「よし、今晩はカニ。たらふく食うぞ!」。一番デカイのを23ドルで買い求め、私は宿への道を急いだ。

 

 ベーリング海峡の町ノームには、普通の人々の生活が当たり前にあった。北極海を見るために訪れたトゥクトヤクトゥクやプルドーベイは資源開発や石油採掘の基地であり、だからこそ未舗装とはいえ通年通行可の陸路が通じていた。それにひきかえノームは"陸の孤島"で、夏は小型飛行機、冬はアイスロードと呼ばれる凍った川に仮設される"道路"で行くしかない。ノームの町では、一万年以上も前にベーリンジアを渡ってやってきた人々が、今はスーパーでレジを打ち、カニ獲り漁船に乗り込み、パブを経営し、あるいは家庭の主婦として 、我々と基本的にはあまり変わらぬ暮らしをしていた。昔、金(きん)を求めて殺風景なこの地を初めて訪れた欧米人が「ここはなんていう土地だ?」と尋ねたら、ネイティブが「ノーネーム(名前なんてないよ)」と返し、それを聞き違えてノーム(Nome)と呼ばれるようになったという話がある。現在のノームは、人々の慎ましやかな生活に彩られた、小さく静かで平和な町であった。 

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▲この先にシベリアがあると思うと、無理と分かっていても、思わず目を凝らして遠くを眺めてしまう、それがベーリンジアの海であった。