おやじは荒野をめざす【アラスカ編】

がむしゃらに突き進むおやじに、アラスカは何を与えてくれるのだろう、、、

(23) アリューシャン探訪

 今から50年以上前、日本中の小学生は毎週火曜日(だったと思う)を楽しみにしていた。「少年サンデー」と「少年マガジン」という二大週刊漫画の発売日だったからだ。で、その「少年マガジン」(だったハズ)の巻頭特集に太平洋戦争が取り上げられ、あるページのタイトルに「アッツ島玉砕」とあった。「アッツ」という短音が妙に心に響き、また「玉砕」という言葉の意味を父親に尋ねたのを今も覚えている。

 アラスカからシベリアのカムチャッカ半島まで連なってのびる、アリューシャン列島と呼ばれる島々がある。人間の考えた日付変更線など意に介さないかのように、太平洋の北辺をまるで真珠のネックレスのように飾っているのだが、その連なりの西端にアッツ島はある。さらに、カムチャッカから北海道へ繋がる千島列島があり、つまり日本とアラスカは、カムチャッカ半島をセンターに介し、アリューシャン・千島という二本のチェーンによって結び付けられているのだ。海と島を素材にして地球に描かれた地形的文様の中で、これは際立って美しい。近くまで来たのだ。折角だから行ってみよう、憧れのアリューシャンへ。

 調べてみると、現地ではアトゥーと発音するアッツ島アメリカ軍の要塞と化しているようで、考えてみれば対ロシアの最前線である。そこで、アリューシャンの島々のうち、一般人が入れる最も拓けたウナラスカ島に目的地を変更した。そして、島唯一の町ダッチハーバーは、75年前に旧日本軍のゼロ戦が爆撃したアメリカ本土で唯一の場所だったのだ。

f:id:ilovewell0913:20190921063351j:plain

▲びっしりと緑に覆われた斜面の下に赤錆びた難破船が見える。ゼロ戦に攻撃された船だ。ハワイの真珠湾、即ちパールハーバー奇襲は日本人ならまず知っているだろうが、ダッチハーバー攻撃を知る人は限られるだろうし、このまま何事もなく時が経てば、いつしか、忘れ去られてしまうのかも知れない。

f:id:ilovewell0913:20190921063155j:plain
f:id:ilovewell0913:20190921063120j:plain
f:id:ilovewell0913:20190921063435j:plain
f:id:ilovewell0913:20190921070846j:plain
f:id:ilovewell0913:20190921063410j:plain
f:id:ilovewell0913:20190921063137j:plain

 そんな血なまぐさい歴史を持った島だから、私のような呑気な日本人が足を踏み入れていいんだろうか。70年以上の時が流れているが、反日とまではいかなくても、嫌日くらいはまだあるのではないか、そんな心配が確かにあった。「なぜ来たのか?」と問われたら、「日本人がやったことを、同じ日本人として、この目で確かめに来た」と答えればいい。そんなことを考えながらダッチハーバーの空港に降り立った。濃霧による欠航で今日のフライトまで一週間の待ちぼうけを強いられたが、待った甲斐があった。ダッチハーバーは爽やかな夏の日差しで旅人を迎え入れてくれた。

 最初に「戦争記念館」を訪れた。入り口のドアをくぐり受付の年配の女性に見学の意を伝えると、「どうぞごゆっくり」といたって普通に遇された。見学者は私一人で、展示品は「いつ、どこで、何が起こったのか」を客観的に示していた。ゼロ戦の部品や日本軍が使っていた武器や生活具などもあったが、日本の旧体制に対する一方的な説明はなく、努めて冷静に過去の歴史を振り返り、現在に繋ぎ止めようとしているように感じられた。帰り際、受付の女性から分厚い冊子を進呈された。戦争の記録ではなく、アリューシャンに生まれ育った人々の暮らしをまとめたものだった。 Thank you so much. と礼を述べて、表紙に来館記念のスタンプを押した。そっとスタンプを上げてみたら、上下逆さの文字が下から現れた。受付の女性と思わず声を上げて笑ってしまった。

 町では日本企業と思われる会社名を度々目にした。土地の事情通に話を聞くと、アリューシャンの漁業は日本の水産大手の会社が支えているとのことだ。港湾設備だけでなく道路や橋などのインフラ建設は日本の水産会社が地元にもたらす利益で賄われているらしいし、恒例のダッチハーバー祭も、日本企業の協賛金によって成り立っているとのことだった。

 最後の3日間はダッチハーバーから縦横にのびるトレイルをのびのびと歩き回った。クマがいないということが人間の精神と活動にこんなにも直接的な影響を与えるものなのかを実感しながら、原始の匂いがむんむんするアリューシャンの自然と心ゆくまで戯れることができた。草原、花、川、滝、浜辺、白頭鷲、マーモット、サーモン、、、それらは、私が今まで見た自然の中で、もっとも原初の姿に近いものだったのかもしれない。戦争の爪痕、日本企業による経済的繁栄、無垢の自然、一見、相反するようなこれら三つの要素が絶妙なバランスで混在している、それが戦後七十五年を経過したウナラスカ島の今の姿だった。