おやじは荒野をめざす【アラスカ編】

がむしゃらに突き進むおやじに、アラスカは何を与えてくれるのだろう、、、

(24) ファーストネーション

 今回の旅ではいろいろなところでファーストネーション、先住のイヌイットの人たちと出会った。北極海に近いイヌビクのスーパーでは、突然イヌイットのオバハンに「あんたは私の従兄弟とそっくりだよ。なんて名前なの?」と呼び止められ、「日本から来たキヨシ イノウエというケチな野郎でござんす」「ありゃ、あんた、ミドルネームないんだね。じゃ、私がつけてあげる。ミドルネームは Denny がいいね。あんたにぴったりだよ」「ありがとさんでござんす、、、」、こんなやりとりがあった。イヌイットの人たちがどんな生活をしているか、差別のようなものはあるのか、それを実際に見て確かめるのも、この旅の目的だった。

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 イヌイットの人たちが白人に混じって働く姿を思い出そうとしているが、浮かんでこない。船着場ではイヌイットの人たちをよく見かけたが、道路工事はなぜかほとんどが白人だった。他に彼らが働く場所は、、、と思い浮かべようとしても、出てこない。つまり、恐らくではあるけれど、彼らイヌイットは、私のような旅行者の目に触れる場所では働いていない、または、そもそもあまり働いていないのではないか、そんな思いに行き着いた。でも一つだけ例外があって、それはイヌイットの人たちにしかできない、または彼らがやった方がしっくりする仕事、つまりイヌイットの人たちが作った手工芸品を売る店や彼らの伝統的なダンスを披露する劇場での仕事などだ。不思議なのは、例えばイヌイットの人が作ったキーホルダーが25ドルで売られていて、他の普通の土産物に比べて値段が高い。もしかしたらイヌイットの工芸品販売組合みたいのがあって値段を高めに設定しているんじゃないか、そんな"下衆の勘繰り"をしたくなるような価格だ。そして、このような状況を社会全体が容認している印象もあった。取材不足で、正確かつ突っ込んだ説明ができないのだが、なんとか彼らにも経済的に自立してもらいたい、そんな思いを周りが抱いているのではないか。旅人の目にはそんなふうに映った。

 イヌイットがアラスカに住み着いたのは今から何千年も昔のことで、一方、白人が定住し始めたのはせいぜい数百年前程度だろう。イヌイットの呼称「ファーストネーション」は「彼らが先に住んでいた」と「彼らは我が国民である」をそのまま表している。歴史的事実だから当たり前のことだが、それをあえてもう一度おおっぴらに言うところが、いかにもアメリカらしい。白人は、イヌイットが住んでいた土地に後から乗り込んで来て、イヌイットを追い払い、良い土地を占有した。強いものが弱いものを駆逐したという史実を私たちは決して忘れてはいけない。しかし、その後の強者側の振る舞いを見ると、弱者に対して手を差し伸べようとしているようにも感じられる。一方、弱者たるイヌイットの人たちは、白人の手を払うでもなく、かといってありがたく受け入れるでもなく、、、通りすがりの私には、そこまで想像するので精一杯だった。

 

 イヌイットのオバハンに声をかけられたスーパーのフードコートで昼ご飯を食べた。周りはイヌイットの人たちばかり。モンゴロイドの血の色濃い人、白人に近い顔立ちの人、まるで日本人という人もいた。古びたスーパーのフードコートは、東西の血のミクスチャーの見本市さながらだ。何千年も前にベーリンジアを渡り、その後、数千年の歳月をかけて撹拌された結果が、今、目の前に展開されている。彼らにはちょっと申し訳ないが、どんな立派な歴史博物館よりもよほど興味深い。そんなことを考えながら三時間もぼっとしていたら、隅っこの椅子に一人で座るイヌイットの男に、他の人たちが食べ物をあげているのに気づいた。彼は身なりが一際みすぼらしく、ホームレスなのかもしれない。私のテーブルには、満腹で食べきれないフライドチキンが手付かずのまま一個残っていた。彼らの流儀に従えば、私はこの冷めたチキンを彼に差し出すべきだろう。でも、彼のテーブルまで行って食べ物を恵むという行為が途方もなく遠く重いように感じられた。近くの若いイヌイットに「どうしたらいいか」と尋ねてみようか。いや、そんなことをして、仮に「勿論、あんたはチキンを彼にあげるべきだよ。そんなの当たり前だよ」と言われても、その通りにできない自分が容易に想像できた。長い間考え、随分と迷った挙句、チキンの残りカスと手付かずのチキンを箱に戻し、私は席を立った。出口の近く、彼からは見えない位置に大きなゴミ箱があった。例のチキンの箱をゴミ箱に捨て、私はそそくさと店の外に出た。なんでそういう行動を選んだのか、外国では当たり前にやっている「食べ残しの持ち帰り」をなぜしなかったのか、その理由が思い出せないのだが。