ビクトリアでの生活は学生のように勉強中心だった。私を"よく"知る人たちは信じないかもしれないけれど、マジでガラにもなくそうだった。「英語ペラペラ化計画」は最初に考えていたよりハードルが高った。「3ヶ月でなんとかなるだろう」ってのは舐め過ぎで、やはり1年は必要だったかもしれない。間に4ヶ月の一時帰国を挟んで学校に通ったのは正味5ヶ月。でも、いつまでも学生を続けているわけにはいかない。もう一つの大きな目標に向けて行動を開始すべき時期が来てしまったんだから。
次の目標=アラスカは、若い時に日本中をヒッチハイクで周った自分にとっても、難敵なのは十分承知してた。何と言ってもアラスカだ。準備不足のまんま行って荒野の真ん中で道に迷ったりしたら、クマさんやオオカミ君は決してお友達にはなってくれないだろう。大きな地理を頭に入れ、里程標を描き、具体的に予定を考えた。その通りに進むわけはないし、行き当たりばったりってことも多くなるんだろうけど、何か指標になるものがないといけないんだ、旅というものは。
2週間かけて具体的に旅の体制を整えた。ポイントは「快適に車中泊ができるかどうか」だ。ホテルに泊まり続けてたらあっという間に金欠になってしまうし、そもそもホテルなんか無いところにも行くんだから、そういうのに対処できなくちゃいけない。テントは勿論持ってきている。ただ、"ただ"だよ。ブラックベアー(日本のツキノワグマ)ならいいんだけど(さらっと言ったけど、結構タイヘン)、グリズリー、日本で言うところのヒグマがアラスカには"普通"にいるらしい。テント泊はグリズリーの危険が絶対無いところに限定し、少しでも可能性があるところは車中泊、そして町ではホテル、モーテル、インなどに泊まる。
クルマに求められるのは、悪路にへこたれず走ること、荷室と座席が平らになること(そうでないと体を伸ばして寝られない)、トラック型よりもワゴン型(クマ公が出た時、トラックの荷台で寝てたんじゃ生きた心地がしないぜ)が絶対条件で、荷物がたっぷり積め、燃費がよければさらによし。レンタカー会社に問い合わせると、アラスカに行くと言っただけで「貸せません」となるのがほとんどで、エイビスだけがアラスカOKと言ってくれた。車種はジープ社のグランドチェロキー。レンタル料金はクルマ保険付きでウン十万弱。走行距離四千キロちょいの新車同然を4ヶ月間、走行距離制限は一万二千キロ。車中泊すればするほどホテル代が浮くんだから、決して高くはないと私は判断した。
トレーニングも兼ねてバンクーバー島北部を再び周った。知っている場所と知らない場所を半々にして、体と心を少しずつ”旅バージョン”にしなくてはいけない。衣食住が事足りてないと疲れが蓄積し気持ちも萎えてくる。贅沢はできないけれど、どのくらいのペースで旅すればいいか、67歳になった現在の自分はどのくらい無理がきくのか、自分を試さなくちゃいけない。体調は悪くない。いい加減な食生活を続けていると、日本では胃腸がすぐ根を上げるけど、これも大丈夫。体が、これからのハードな毎日を予測して忍耐強くなったのだろうか。
バンクーバー島最北の町ポートハーディー。あらかたの調整と準備が終わり、私はフェリーの出発を待つ車列に並んだ。インサイドパッセージを経て、いよいよアラスカへの旅が始まる。