次の日、村をぶらついていると、ユーコン河畔でボーッと遠くを見ているばあちゃんに会った。
「やあ、また会いましたね。昨日はご馳走様でした」
「ふんにゃ、ふんにゃ、、、」
「おばあちゃんはユーコン川が好きそうですね」
「そりゃあそうさぁ、、、ユーコン様のおかげで、ビーバーは世界一暮らしやすい土地なんじゃからな、、、サーモンなんて取ろうと思えばいくらでも取れるし、ちょっと前までは金(きん)だって取れたんじゃぞ。わたしゃ、あんたをフィッシングキャンプに連れて行きたいよ。あんな楽しいことはないんだからのう」
このばあちゃんとフィッシングキャンプに行けたら、どんなに素晴らしいだろう。私が全く知らぬ人間の心の在りようをばあちゃんは当たり前のように見せてくれるんじゃないか。
「私はフランク安田の墓参りをするためにここに来たんですけれど、おばあちゃんはフランクさんのこと、何か知ってますか?」
「そりゃ、いくらでも知っとるがな。奥さんのネビロはワシのこと、とても可愛がってくれてな。心の広〜いお方だったで、、、」
そうなんだ。フランク夫妻と重なっているんだ。歴史の生き証人。伊達に歯を失っていないな、このばあちゃん。
「ワシはな、ここビーバーで生まれビーバーで育った。だから世界で一番幸せもんじゃよ。ユーコン様は必要なものはなんでも恵んでくれるんじゃからな」
私は、ここぞとばかり、どんどん質問した。昔のビーバーのこと、金のこと。フランク安田夫妻のこと、、、最後にばあちゃんが言った。
「あんたは何でも知りたがるんじゃのう。まるでビーバーのようじゃ、、、」
この場合のビーバーは場所のことではなく動物のビーバーを指しているのだろう。ビーバーはアラスカではよく見かける動物で、川や湖で木が積み重なったようなビーバーダムの近くにいると、好奇心旺盛なビーバーはわざわざ巣から出てきて、近くをスイスイ泳いだりする。その好奇心のことを言っているのだ、ばあちゃんは。色々聞きすぎてたしなめられたのか、いや、そんなことはない。そう思ったからそう言った。それ以外にない。
「おばあちゃん、いろいろ聞けて本当にありがとう」
「いんや、いんや、こっちこそ、こんな年寄りの話聞いてもらってサンキュベリマッチだわさ、、、」
このばあちゃんのことを思い出すと、今でも涙が出そうになる。何故なんだろう。資本主義とか物質文明とか、そんなもののもっと奥にある人間という存在。アラスカで生まれ育ち、ユーコンから与えられ、今、息子に見守られながら人生の最後の日々をそのまま受け入れている。サーモンがユーコンの浅瀬で生き絶えるように、ばあちゃんは何の思い煩いや憂いもなく、自然に帰っていくのだろう(ばあちゃん、ゴメン)。ポールの信ずるのと同じ神に召されるのかどうかは分からないが、ばあちゃんが信じているように、ユーコンは世界で一番人間が人間らしく生きられる場所なのかもしれない。