おやじは荒野をめざす【アラスカ編】

がむしゃらに突き進むおやじに、アラスカは何を与えてくれるのだろう、、、

(25) 工夫の天才

 仲のいいカナダ人、正確にはギリシャからの移民なんだけど、彼に「日本は素晴らしい国だな。日本人は優秀で俺は日本人が大好きだよ。韓国人や中国人とは違うよな」と言われた。「日本人の女の子は本当によく働いてくれたぜ。今いるのは韓国なんだけど全然ダメ。早くあの子辞めさせて日本人雇いたいよ」と言ったのは、戦乱のアフガニスタンから逃れてきて現在はカフェのオーナーをしている男だ。同じようなことを色々な人から色々なところで言われた。言った本人が白人であろうと非白人であろうと関係なく、私は「はあ」と返し「はい」とは言わなかった。中国の友人から「私は日本人は好きだけど、韓国の人は本当は好きじゃないわ」と言われたこともある。私は返事をしなかった。いずれの場合も、同意を求められたり「キヨシはどう思う?」と聞かれたら、「じゃあ、本当のことを言わせてもらうけど」と前置きして「日本を良く言ってくれるのは Thank you. だけど、中国や韓国をけなして日本を持ち上げる言い方は喜べないし、実は不愉快なんだ」と返すつもりでいた。本音が陽の目を見ることがなかったのは幸なのか不幸なのか、よく分からないけれどね。

f:id:ilovewell0913:20191208131855j:plain▲散歩中の奥さんとホームレスorさすらいの旅人が犬談義してるとこに道路工事のおっさんが参加。ある街角の朝の風景。金持ちと貧乏人、男と女、年寄りと若者、頭いいやつとアホなやつ、、、そんな区別は関係ない。世の中、面白いやつとつまらないやつ、それしかないと思うよ。

 

 日本という国はちょっと不思議なところのある国なんだと、カナダ・アラスカを旅していて気づいた。自惚れや自信過剰ではなく事実として、日本はこちらの人たちから特別な思いで受け止められているみたいなことも分かった。カナダでもアラスカでも、町中に日本製品が溢れている。車・バイク・食品・化粧品・文房具、、、Japan Made は高性能かつ高級品としてこちらの人たちから羨望の眼差しで見られている。確かに、日本製品は実によく考えられ工夫され作り込まれている。昔も今も日本は加工貿易で食っているが、単なる「加工」のレベルを遥かに超して他国では真似のできない「付加価値」を新たに生み出している。「元々は日本になかったものを外国から取り入れて、工夫と改良を重ね、お手本であった外国製品を遥かに上回る優れた製品を作り出し、リーズナブルな価格で提供する」という意味において、日本人は「工夫の天才」ではないかと思っている。自分サイドに「天才」という言葉を使うのは謙虚さがないと思わないでもない。しかし、そう言ってしまいたいほど、日本製品は優れているし、高い信頼を得ているし、売れている。

 日本製品に対する圧倒的な高評価は、実は、日本文化に対するリスペクトと無関係ではないと思う。ニューヨークやボストンの美術館では、有史以来の世界の芸術の紹介の中で、日本文化だけが"国単位"でその芸術性の高さと特殊性を、他とは切り離した形で紹介していた。アメリカもカナダも歴史の浅い国だから、古いものや歴史の重みみたいなものに憧れ、そして恐らくは自国の文化に引け目を感じている。彼らから見て日本は「自分たちにはない長い歴史を持ち、独自の文化を発展させた」摩訶不思議な東洋の小さな国なのだ。その日本が作り出す数々の工業製品がまた、彼らにはおよそ考えもつかないような創意と工夫に満ちている。日本製品への圧倒的な信頼は、日本文化へのリスペクトが下支えしている。

 

 晩飯には久しぶりに肉を焼いた。レストランのステーキは、市販のソースをジョバっとかけるだけだし、「ミディアム」と言っても端が黒く焼け焦げた「スーパーウェルダン」が出てきたりする。安宿のキッチンで自分好みに焼き上げた肉に、工夫を凝らしたソース、これは数種類のソースに醤油・日本酒・肉汁を混ぜ合わせ、少量のジャムで味をまろやかに調えたものだが、それをたっぷりかける。季節野菜のソテー、ご飯代わりのマッシュポテトで味の強弱を自分好みにアジャスト。ジャガイモの茹で汁に塩胡椒だけのスープは、そのシンプルさゆえにジャガイモの旨みをストレートに伝えてくれる。ゆっくりした時の流れの中での男一人の食事。ああ、美味かった。安物のアメリカンビーフだけど、工夫次第でこんなにも上等なディナーになる。日本人は"凝り性"で"工夫好き"だけど、自分も紛れもなくその一員なんだなあ、、、そんなことを考えながら渋目の日本茶をすすり、食後の甘みとして、日本人の創意工夫の賜物であるアンパンを食らった。f:id:ilovewell0913:20191208133827j:plain